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心こそ大切なれ 日蓮大聖人の御金言と仏法の実践

心こそ大切なれの御金言に思いを致すことがありました。

我が地区に派遣で来て下さることになった新任の地区リーダーは、信仰への家族の無理解の中で頑張っています。信心とは信仰とは心こそが大切。池田先生が再三おっしゃる「心こそ大切なれ」の実践を地で行くリーダーの奮闘をいかに激励出来るか。ここに自身の心こそ大切なれの実践があると思いました。

ご家族はかつて創価学会員でしたが、祈っても何も変わらないとして退会。その後入会した彼に対して、ご家族は、私たちが祈っても変わらなかったのにお前がやったところで無駄であると言われているそうです。

祈りが叶うまで祈れる自分。そういう自分になれるところに日蓮大聖人の仏法の凄さがあると思えてならない私です。それも『心こそ大切なれ』の実践如何にかかっています。

私は、地区リーダーに対し、この信心はおすがり信仰ではなく、自身に具わる仏界を信じる信心であること。必ず境涯を開いていけると確信して御本尊にお題目を唱えていくという信心であること。その信仰実践で必ずや自身の仏界が権限して、全てを変えていけること。等をお話しすると共に、自身にも言い聞かせた次第です。どこまでも信じてやまない心こそ大切なれ、であると申しました。

この点について、以下にまとめてみました。

日蓮大聖人の仏法と他宗の信仰との違い

日蓮大聖人の仏法と他の宗教との違い。中でも、信仰のありかたの違いとはなにかについて。

多くの宗教では、信仰の対象となる本尊や神を、人知を超えた絶対的なものとして崇拝します。この場合、信仰の姿勢はおすがりして願いを叶えてもらうというものになります。

これに対して、大聖人の仏法では、全ての人に具わる仏界の生命を御本尊として顕し、信仰の対象としています。

仏界の生命とは尽きない生命力と福徳に満ちた絶対的な幸福境涯です。その仏界の生命が私たち全てに本来具わっていると説くのです。

故に、この御本尊を崇拝して信仰するということは、その信じ難いことをひたすら信じて祈っていくということになります。仏界の生命の実在を信じる心こそ大切なれ、なのです。具体的には南無妙法蓮華経のお題目を唱え切っていくという実践が「心こそ大切なれ」の一念の実践であり、その姿そのものが仏界の実在を証明している、ということです。

自身の仏界を信じるということ

自身の仏界を本当に信じるということはまた、現実の問題も自身で切り開いていけると確信して挑んでいくということになります。その確信の心こそ大切なれです。それは、おすがり信仰とは全く逆の信仰のありかたです。

ところが凡夫には自身の仏界が信じ難く、これを導いてくれるのが大聖人の御金言(御書)であり実在する師匠の存在です。そして、師匠池田先生が築かれた善智識の集まりこそが創価学会の存在です。善智識の心こそ大切なれです。

そして、創価の庭での薫陶や指導によって、祈り行動する中で信心の確信を積み重ねているのが私たち創価学会員です。祈り行動する心こそ大切なれなのです。

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心こそ大切なれ 関連御書

心こそ大切なれ」とは池田先生が再三にわたりご指導されるところです。その心とは自身の仏界を信じるか信じられないか、その一点のかかっているといえましょう。

【関連御書】

『ただ心こそ大切なれ、いかに日蓮いのり申すとも不信ならばぬれたる・ほくちに・火をうちかくるが・ごとくなるべし、はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし(御書全集1,316ページ千日尼御前御返事より引用)』

『故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり(御書全集383ページ一生成仏抄より引用)』

『然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり(御書全集1,337ページ生死一大事血脈抄より引用)』

以上、私たち創価学会員の信仰の原点が【心こそ大切なれ】にあることを、改めてここに確認しておきたいと思います。