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御本尊と御書根本 行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法は~

行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず云々とはブログ表題が言わんとするところですが、広布流布の実践活動や勤行・唱題が「行」であり、教学の研鑽が「学」に該当します。

信心修行と信心の深化には、行学共にいづれも不可欠であることは言うまでもありません。ところが、行学の二道がそれぞれにご本尊を敬う業(ごう)であることをついつい忘れがちとなることがありはしないでしょうか。

信心の基本は毎朝毎晩の勤行・唱題にありますが、これは法本尊を敬い、日常生活上に法供養をなす行為です。何かあればお題目、目標のお題目で祈りから出発とは良くいわれることだと思います。しかし、教学の研鑽に関してはどちらかと言うと「随自意(ずいじい)」であり、あまりうるさく言われることが無いのではないでしょうか。

数年前のあるとき、信心の大先輩から御書のすばらしさを伺う機会がありました。それは私の友人を折伏するため遠路都心へ向かう車中の語らいでした。種々感動したお話の中で未だ忘れられない先輩の一言があります。それは・・。

「御書と教学を軽視することは人本尊(にんほんぞん)を軽視することになる」という一言でした。初めて聞く発言内容にしばし呆然とした記憶があります。そして考えれば考えるほどに奥の深い発言内容であったと思わずにはいられませんでした。

過日、私たちの地区が新生の地域に編入となり、そこで戦うこととなったのですが、その地のメンバーにご挨拶方々出発の会合に臨みました。そこである若い幹部の方が使い古した御書を常に携行している姿を目にしたのです。その後の何度かの集いでも必ず御書を片手にしておられました。そして発言の度に、御書を引用されるのです。御書を引用されないお話でも必ず御書を持って立ち上がります。

この若い幹部の方は人本尊を尊敬申し上げ、その深い意味をご存知なのだなと思った次第です。思えば池田先生の指導に於いては御書を引用されないことは無いと断言できるほどです。「御書根本」ということを心肝に染めていきたい。そう思われてなりません。