国会議員名簿

「アラキ電子版」の紹介と「荒木清寛」氏について

政治家・荒木清寛氏の紹介

サイト・アラキ電子版は、政治家の「荒木清寛」氏が運営していたサイト(アラキジャーナル)を選挙情報の配信という形で、継承しているサイトです。

「アラキ電子版」では、全国で実施される地方選挙の情報を配信しています。

立候補者一覧名簿を用い、開票速報と選挙結果を掲載。定数及び当選者・落選者の得票数・投票率等を明示して、立候補者の選挙戦情勢にも触れています。

「荒木清寛」氏のプロフィールと経歴

荒木 清寛(あらき きよひろ)氏のプロフィール

  • 生年月日:1956年6月1日
  • 年齢:64歳
  • 出生地:岐阜県恵那市
  • 出身校:創価大学法学部法律学科
  • 前職:弁護士
  • 所属政党:公明党

荒木清寛 氏 の詳細な経歴

荒木 清寛氏は、日本の政治家であり弁護士です。東京福祉大学名誉教授にも就任しています。

政治家としては、参議院議員(4期)、外務総括政務次官就任(第2次森内閣)、外務副大臣就任(第2次森改造内閣)、公明党参議院政策審議会長就任など、重職を歴任しています。

経歴の詳細は以下のとおりです。

  • 1956年6月1日:岐阜県恵那市にて生まれる。 緑ヶ丘の国立療養所(結核病棟)の官舎にて幼少期を過ごす 。その名の通り緑の豊かな地域で、のんびりと育ちました。
  • 1963年4月:恵那市立大井小学校に入学。行きはバスで帰りは徒歩で通学し、このころから健脚とのこと。
  • 1964年:東京オリンピックの年に、土岐市に転居。大井小学校から転校する際に、同じクラスの可愛い女の子に「あなたのことは一生忘れません」とのラブレターを渡していたことが、先方様の指摘により後年判明。おませな小学生だった。転出先では、同じ東濃地方でありながら言葉づかいがあまりにも違うことに驚く。「○○しや~あ(○○しなさい)」との言い方には、暫くなじめなかった。
  • 私の小学生時代:土岐市は美濃焼の産地であり、当時の土岐川の流れは粘土を含む工場の廃液で真っ白だった。小学校三年生以来、ほぼ毎日日記を書き続けている。6年生に進級すると、「荒寛(あらかん)新聞」と題する壁新聞を百号以上発行し、主張を続けた(読み返すたびに、笑える)。社会問題への関心はこの芽生えだといえる。
  • 1969年2月:創価中学受験のため東京へ。当時は進学塾もなく、さしたる受験勉強をすることも無かった。牧歌的な時代。入試を受けるために新幹線に乗り上京することが嬉しくてたまらず(三歳時以来の二度目の上京)、当時の日記には「こだま」号が停車した各駅の様子が詳細に記されている。
  • 思い出深い学園生活:下宿や寮生活においては、週末を除いてTVを見ることは許されておらず、必死で勉強しました。当初は、バスケットボールクラブに所属したものの球技に向かないことを悟り、その後柔道部に入りキャプテンを努めた。
  • 1975年4月:創価大学法学部に進学。八王子市で寮生活を、立川市で下宿生活を経験した。全国各地から集った多士済々の友人と触れ合い、多大な影響を受けた。一生の財産。
  • 1980年10月:司法試験の口述試験で失敗!わが母校の出身者で、当の試験で初めて不合格となったという不名誉な記録を樹立。あと一歩の努力が足らず、一年間を棒に振る結果 となる。今となっては、よい経験。
  • 1984年4月:弁護士として名古屋市中区の旭合同法律事務所に入所。当時はサラ金被害真っ盛りで、自己破産宣告の依頼などで多忙な日々。金銭問題・離婚・相続・交通事故など 、庶民の生活に密着した問題を数多く担当したことが、私の誇り。
  • 1986年4月:30才にて所帯をもつ。岐阜県立中濃高等学校の英語教諭であった妻・明子と結婚。お見合い。その後1988年9月に長女・寛子が、1990年7月に長男・貴明が誕生。
  • 1992年7月26日:愛知選挙区から参議院議員に初当選。50万7295票を獲得するために、支持者の皆様にいかに献身的な努力をして頂いたかを思うとき、涙が止まらない。仕事でご恩返しをすることが、私の初心であり忘れることのない原点。
  • 1998年7月12日:比例区で再選。皆様へのご恩返しの戦いを 6年間全力で展開していくことを決意。
  • 2004年7月11日:三期目の当選(比例区)。816,115票を獲得し、全国4位で三期目の当選をさせていただいた。

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