ながえ孝子ブログ Blog

2010年05月21日 (金) 03:31

「愛媛の花咲か爺さん」

今、総務委員会で審議をしている「放送法等の一部を改正する法律案」について、
先日の登壇代表質問に続いて、今国会5回目となる質問を致しました。

衆議院総務委員会

今回議論の焦点は、「電波監理審議会」の権限が改正される点ですが、
その権限が個別の番組内容にまで及ばないか、
『言論の自由』、『表現の自由』を脅かすことにならないか、確認させて頂きました。

全国の放送に携わる皆さんが、「国民の知る権利」に奉仕するために頑張るのは、
第一に<平和>を守るためで、二度と間違いを犯さぬように、
自主自立が確保されているからこそ、
自らにも厳しい目を向けながらその役割を果たしていると言うことを、
以前取材させて頂いた「愛媛の花咲か爺さん」こと、高岡正明さんの話を交えて、
述べさせて頂きました。
そして、内藤副大臣の答弁からも、
そもそものこの改正の動機、電波監理審議会に期待する背景には、
過去の教訓である『言論の自由』を封じて戦争へ向かっていった道筋を辿らないように、
という想いがあることも、お聞きすることが出来ました。
こういう確認作業が国会の場で、何度も行われることはとても大切なことだと思います。
「花咲か爺さん」の活動は今、息子さんをはじめ心ある皆さんが引き継がれていますが、
取材させて頂いた者として、私もその想いをいつまでも胸に刻んで生きたいと思っています。

<愛媛の花咲か爺さん>

本名は、高岡正明さんとおっしゃるお爺ちゃんで、惜しまれながら、92歳で亡くなりましたが、
桜の苗木を日本各地、そして世界中に5万本贈り続けられ
「花咲か爺さん」と呼ばれていました。
私が始めてお会いしたのは20年前になりますが、
その時も「今度ゴルバさんにも贈ろ思うんよ」と話されていました。
ゴルバさんとは、ゴルバチョフ元ソ連大統領のことです。
世界の要人が来日すると、お土産にと桜の苗木を持って行って贈るのです。

なぜ、高岡さんは桜の木を贈り続けたか。
戦時中、青年学校の教師だった高岡さんは、教え子の多くを戦地に送り出しました。
桜咲く木の下で別れの宴を開いて、
「お国の為に尽くして来い。そしてこの花の下に帰って来い。」
と送り出したそうです。

しかし、二度と帰って来ることの無かった教え子たちも、少なくありませんでした。
高岡さんは、悔恨の思いを胸に
「彼らの命を無駄にしてはいけない。送り出した者の出来る事は何か」
と考え、別れの日に咲いていた桜の花を思い出し、
桜を平和のシンボルとして、平和への願いを込めて、世界中に咲かせようと決心したのです。

世界中に咲かせる為に、暑い土地、寒い土地でも元気に育つようにと品種改良にも努め、
温度差に強い新品種も作り出して贈り続け、高岡さんの桜は、
メキシコ、チュニジア、インドネシア、ベトナムなど世界10国で美しい花を咲かせ、
中国西安市で1,000本、リトアニアで1,200本、
また、ローマのバチカン法王庁でも「花咲か爺さんの桜並木」が生まれています。

この話は、全国発信もされて、
「桜の花を見ると平和の尊さ、有難さを感じるようになりました」
という声が全国から愛媛に届きました。

今年もこれから夏に向かって、8月6日、9日、15日、を迎えるにあたって、
全国の放送局が、各地におられる高岡さんのような「花咲か爺さん」を捜し歩いて、
話をお聞きし、平和を願う想いと足取りを取材・放送されることと思います。

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